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中小企業退職金共済(中退共)は、従業員の退職金制度を国の助成を受けながら簡便に整備できる仕組みとして広く活用されています。加入手続きも比較的容易で、掛金も損金算入できるため、経営者にとっては導入しやすい制度です。しかし、実際に導入しても「従業員満足につながらない」と感じる企業が少なくありません。その背景には、制度そのものの仕組みよりも、「導入の意図や運用の見せ方」に問題があるケースが多いと感じます。
私が顧問として関わったある製造業の企業では、退職金制度が未整備であったことから、経営者が「社員のために何か福利厚生を整えたい」との思いで中退共を導入しました。制度の説明も行い、会社負担で掛金を積み立てていく形をとりましたが、半年後の社員アンケートでは「中退共を導入しても実感がない」「自分には関係ないと思う」といった声が目立ちました。経営者としては「せっかく福利厚生を整えたのに評価されない」と落胆していました。
このケースの問題点は、「中退共の目的とメリットが従業員に理解されていなかった」ことにあります。多くの従業員にとって「退職金」は将来の話であり、今の生活や働きがいに直結するものではありません。そのため、会社側が導入した意図をきちんと伝えず、「制度を入れたから満足してもらえるだろう」と期待しても、現場に響かないのです。
また、制度運用の透明性にも課題があります。中退共は個人ごとに掛金を納付し、将来の退職時に共済金として支給されますが、従業員はその積立状況を日常的に確認することができません。企業によっては加入時や退職時以外に説明がなく、「自分にいくら貯まっているのか分からない」という不安を持つ人も少なくありません。つまり、制度として存在していても「見えない福利厚生」になってしまい、心理的な満足感が得られにくいのです。
私の顧問先の中には、同じく中退共を導入したものの、社員説明を徹底することで意識が大きく変わった企業があります。その会社では、導入時に「退職金制度を会社が整備する理由」をしっかりと伝えました。単に「国の制度だから」「税制上有利だから」ではなく、「長く働く人を大切にしたい」「努力が将来の安心につながる仕組みをつくりたい」といった経営者の理念を重ね合わせたのです。また、年に一度の人事面談の際に中退共の加入状況を説明し、「長く勤めるほど積立額が増える」仕組みを数値で示すようにしました。結果、従業員から「会社が自分の将来を考えてくれている」との声が増え、制度への理解が進みました。
このように、中退共の導入効果を高めるには「制度そのもの」ではなく「伝え方」と「見える化」が重要です。従業員満足を高めたいと考えるのであれば、単なる福利厚生として終わらせず、「会社がどのような思いで導入したのか」「従業員にどんなメリットがあるのか」を明確に伝える必要があります。とくに若手社員にとっては、退職金という概念自体が遠い話に感じられるため、ライフプラン教育やキャリア形成の一環として説明することが有効です。
もう一つの落とし穴は「中退共を入れたら十分」と思い込むことです。中退共は退職金のベースにはなりますが、役職や勤続年数による差をつけにくく、キャリアアップのインセンティブにはなりにくいという特徴があります。つまり、モチベーション向上を目的にするには不十分なのです。私はある医療法人で、役職者のみ別途の企業型退職金制度(確定拠出年金)を併用導入したケースを経験しました。この二層構造により、一定の役職に昇進した段階で上位制度が適用される仕組みを整備したところ、「昇進することで退職金も増える」という具体的な動機づけが生まれ、管理職層の定着が向上しました。
一方で、中退共の掛金設定を誤るケースも散見されます。掛金を「できるだけ高く設定した方が良い」と考えがちですが、実際には会社の経営状況や他の報酬制度とのバランスを踏まえることが重要です。過度な負担は経営を圧迫し、逆に「賞与が減った」「昇給が鈍化した」と従業員が感じれば、本末転倒です。制度設計時には、会社の成長段階に合わせて柔軟に掛金を調整し、全体の人件費計画の中で位置づける必要があります。
中退共が「従業員満足につながらない」と言われる背景には、「長期的メリット」と「短期的実感」のギャップがあります。経営者は「退職時にまとまった金額を受け取れる」という長期的視点で考えますが、従業員は「今の生活の安心」や「目に見える評価」を重視します。このギャップを埋めるためには、制度導入だけでなく、定期的な情報共有・見える化・理念の共有といった運用面での工夫が欠かせません。
私が顧問先で実践しているのは、「制度導入→説明会→見える化→定着確認」という4ステップの流れです。導入時には経営者のメッセージを明文化し、説明会で「会社の想い」と「制度の意義」を社員に伝える。その後、社内ポータルなどで掛金情報や制度概要を可視化し、年に一度は理解度や満足度の確認を行う。こうした運用プロセスを組み込むことで、制度が単なる書面上の福利厚生から「企業文化の一部」として根づいていきます。
中退共は優れた制度でありながら、導入だけでは効果を発揮しません。制度を「使いこなす」視点を持ち、従業員の心に届く形で運用することこそが、真の従業員満足につながる鍵です。経営者が「導入して終わり」ではなく、「伝えて育てる制度運用」を意識することで、初めて中退共は“会社と従業員をつなぐ信頼の仕組み”となるのです。
執筆:特定社会保険労務士 鈴木教大(社会保険労務士法人レクシード)