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退職金制度は、かつて「勤続年数へのご褒美」や「定年退職時の感謝金」として運用されてきました。しかし、現代の経営環境において、退職金を単なる福利厚生の一部として扱うことは、極めてもったいない発想です。少子高齢化、転職市場の活性化、人材の流動性が高まる中で、退職金制度は「経営戦略の一環」として位置づけるべき時代に変化しています。
退職金制度を戦略的に設計することで、企業は「人材の定着」「採用競争力の向上」「モチベーションの維持」「後継者育成」など、組織の中長期的な課題解決を図ることが可能となります。ここでは、社労士として多くの顧問先を支援してきた経験を踏まえ、退職金制度を経営戦略として再構築するための考え方を整理してみます。
退職金制度を設計するうえで最初にすべきことは、「何のために退職金を支給するのか」という目的の明確化です。
単に慣習だから支給する、周囲の同業者があるから設けている――このような理由では、制度が形骸化し、経営への効果を発揮しません。
たとえば、ある製造業の顧問先では、創業以来の退職金規程をそのまま使い続けていました。ところが中堅社員の離職が続いたためヒアリングを行ったところ、「勤続20年しないと満額が出ない」仕組みがモチベーション低下につながっていたことが判明。
そこで、在籍年数に応じた分割積立型に見直し、「5年ごとに部分支給」できる制度に変更したところ、中堅層の定着率が大きく改善しました。
つまり、退職金制度は“過去の感謝”ではなく、“未来の動機づけ”として設計すべきものです。
経営戦略として退職金制度を考えるうえで欠かせないのが、企業の理念や人事方針との整合性です。
単に金額設定をするのではなく、「どのような社員に長く働いてほしいか」「どんな成長を評価したいか」を制度に反映させることが重要です。
例えば、私が関与した医療法人では、「地域医療に貢献する長期勤務者を重視する」という理念がありました。そこで、勤続年数に応じた加算方式に加え、院内教育を修了した職員に上乗せ支給する仕組みを導入しました。
この改定により、キャリア形成意欲の高いスタッフが増え、医療の質の向上とともに離職率も低下しました。
退職金は、理念の体現者を称える「経営のメッセージ」として設計することができます。制度そのものが経営方針の浸透ツールとなるのです。
退職金制度を見直す際、経営者が最も気にするのは「資金負担」です。確かに退職金は将来の支出を伴うため、安易な制度設計は財務リスクにつながります。
ここで重要なのが、制度設計と資金準備を「切り離さない」ことです。
たとえば、社内積立方式では将来の支払い原資が不透明となり、資金ショートのリスクが生じます。
一方、民間の退職金共済や保険商品を活用することで、経費処理をしながら将来原資を確保し、経営の安定性を保つことができます。
私の顧問先でも、役員退職金を会社の成長戦略に合わせて段階的に設計し、保険を組み合わせた準備を行いました。
その結果、事業承継時の資金確保がスムーズに進み、後継者へのバトンタッチを安心して行うことができました。
退職金制度は「人事」と「財務」をつなぐ架け橋です。どちらかに偏ると、制度の持続性を失います。
退職金は、採用市場でも効果を発揮する戦略ツールです。
特に中小企業においては、「退職金制度あり」というだけで応募数が大きく変わるケースがあります。
人材紹介会社の調査でも、求職者の4割以上が「退職金制度の有無を重視する」と回答しています。
顧問先の一つである介護事業所では、これまで退職金制度がなく、採用面接時に応募者から「将来が不安」と言われることが多々ありました。
そこで、勤続3年以上を対象に中退共制度を導入。求人票に「退職金共済加入」と明記したところ、応募者が倍増しました。さらに、離職率も下がり、採用コスト削減にもつながりました。
このように、退職金制度は「長く働く価値」を見える化するツールであり、採用・定着両面での戦略的価値を持ちます。
忘れてはならないのが、経営者自身の退職金です。
会社を発展させてきた功績をどのように可視化し、将来の経営資金や生活基盤として確保するか。これは経営の持続性に直結します。
特に中小企業では、経営者個人の生活と法人財務が密接に結びついているため、引退時の資金計画を戦略的に立てることが不可欠です。
法人契約の退職金保険や小規模企業共済を活用し、「退職金=将来の再投資資金」と位置づける設計を行うことで、次の事業展開にもつなげられます。
私の支援先では、社長が60歳を迎えるタイミングで退職金の積立と同時に、後継者教育プランを策定しました。
その結果、引退を「終わり」ではなく「次のステージへの準備」として前向きにとらえることができ、組織全体がポジティブな転換期を迎えました。
制度は一度作れば終わりではありません。
経営環境、賃金水準、従業員構成が変化する中で、制度を定期的に見直し、経営層と従業員が「将来の働き方」について対話するきっかけとすることが重要です。
ある企業では、退職金制度見直しの過程で「どういう働き方を評価し、どう成長してほしいか」という経営者の思いを社内説明会で共有しました。
これが契機となり、社員が会社の方向性をより理解し、日々の業務改善提案が増えるなど、制度以上の効果を生みました。
退職金制度の見直しは、単なる福利厚生の整備ではなく、「組織の未来を語る場」としての機能も果たします。
退職金制度は、単なる金銭支給の仕組みではなく、経営理念、人事方針、財務戦略を統合する“経営戦略ツール”です。
目的を明確にし、理念に基づき、人事と財務のバランスを取りながら制度を設計することで、企業は「辞めない組織」「育つ人材」をつくることができます。
社労士としての経験から感じるのは、退職金制度の本質は「社員と会社の未来をどう描くか」にあります。
制度設計を通じて、経営者と社員が共通の未来像を持つこと――それこそが、最も強力な経営戦略となるのです。
執筆:特定社会保険労務士 鈴木教大(社会保険労務士法人レクシード)