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多くの経営者が、「トラブルが起きてから就業規則を見直せばよい」と考えがちです。しかし実務の現場を見てきた社労士として断言できるのは、「トラブルが発生してからでは手遅れ」ということです。なぜなら、就業規則は“事後対応の武器”ではなく、“事前防御の盾”だからです。
労働トラブルの多くは、日常の小さな不満や誤解の積み重ねから生じます。残業命令の出し方、有給休暇の扱い、指導・叱責の範囲、懲戒処分の手続きなど、曖昧な運用が続くと、社員側の認識とのギャップが広がり、最終的に「不当な扱いを受けた」と主張される事態になります。実際、労働基準監督署の調査や労働審判では、会社側が就業規則を提出できなかったり、古い内容のままだったりすることで不利な判断を受ける例が少なくありません。
私の顧問先でも、退職を巡るトラブルの際に、懲戒処分や退職手続きの根拠があいまいだったため、会社側の主張が通らなかった事例がありました。その後、改めて就業規則を整備し、懲戒の種類・手続き・再発防止策を明文化したところ、以降は同様のトラブルが発生していません。つまり、就業規則を“起きてから作る”のではなく、“起きないために備える”姿勢が重要なのです。
また、トラブル発生後に規程を整備しても、当事者間の関係はすでにこじれており、「後付けでルールを変えた」と受け止められる可能性があります。信頼関係を再構築するには時間と労力がかかり、職場全体のモチベーション低下を招くこともあります。特に、感情的な対立を伴うハラスメントや解雇トラブルでは、事後整備によって「会社が自分たちを守るためにルールを急に変えた」と捉えられ、かえって混乱を助長するケースもあります。
さらに、法改正対応の遅れも大きなリスクです。ここ数年だけでも、パワハラ防止法、育児介護休業法、時間外労働の上限規制など、実務に直結する改正が続いています。特に中小企業の場合、改正内容を知らないまま古い就業規則を使い続けていることが多く、結果的に「違法状態」で運用していることも少なくありません。監督署の調査時に指摘を受けて初めて気づき、「慌てて直す」という流れになってしまうのです。
顧問先のある製造業の事例では、時間外労働に関する36協定の届出内容と就業規則の定めが不一致であったため、是正勧告を受けました。その後、私の方で労働時間制度の見直しと合わせて就業規則を全面改定し、運用体制を整備しました。結果として、監督署からの再指導もなく、従業員の時間外申請・承認フローも明確化され、トラブルの芽を摘むことができました。
一方で、トラブル後の整備はどうしても“防御的”になりがちです。つまり、「もう問題が起きないように」と処罰色を強めた規程にしてしまう傾向があります。これでは、従業員にとって「会社が自分たちを縛るために作ったルール」という印象を与えてしまい、心理的な反発を生むこともあります。重要なのは、トラブルをきっかけにするにしても、“信頼を取り戻すルール設計”を意識すること。私はそのような場合、まず社員代表を交えたヒアリングを行い、現場の課題感を吸い上げたうえで、「双方が安心して働けるルール」として再構築するようにしています。
また、トラブルの種類によって就業規則の見直しポイントも異なります。
例えば、
・長時間労働が問題となった場合は、勤務形態や残業命令のルールを明文化。
・人間関係トラブルであれば、ハラスメント防止条項や相談窓口の運用手順を具体化。
・能力不足やモチベーション低下が原因の退職トラブルであれば、人事評価制度との連動を見直す。
こうした対応を通じて、「会社が一方的に守られる規則」ではなく、「社員と会社の双方を守る規則」として運用できる体制を整えることが、真の再発防止につながります。
社労士として感じるのは、トラブルの渦中では冷静な判断が難しく、経営者も感情的に反応してしまうということです。そのため、落ち着いて対応できる“平常時”こそが、ルールを見直す最適なタイミングです。就業規則は「お守り」ではなく「経営ツール」であり、経営戦略や組織運営と連動して初めて力を発揮します。例えば、採用や人材定着に課題を抱える企業では、勤務形態・評価・報酬ルールを就業規則に反映させることで、安心して働ける職場環境を示すことができます。
私の顧問先でも、採用難に悩む医療機関がありました。求人票や面接で「勤務時間・休暇制度・処遇」が曖昧なままだったため、応募者からの不信感を招いていたのです。就業規則を整備し、労働条件通知書と整合を取ることで、採用説明が明確化。結果、応募数が増え、離職率も改善しました。就業規則が「採用ブランディング」にまで貢献した好例です。
トラブル後に慌てて整備しても、信頼回復には時間がかかります。だからこそ、何も起きていない今のうちに、会社を守るためのルールを磨いておくことが経営のリスクマネジメントなのです。定期的な点検・更新を行い、法改正や組織変化に応じて柔軟に改訂することが、安定した職場運営と人材定着の鍵となります。
執筆:特定社会保険労務士 鈴木教大(社会保険労務士法人レクシード)